八重巻について
明治23年に創業。
森田で酒屋を営んで創業130年になります。
- 初代竹内 政吉
- 二代目竹内 政義
- 三代目竹内 勧
- 四代目竹内 重人
Store
八重巻酒店の創業は明治23年。福井市森田地区で酒屋を営んで130年以上になります。現在の店主である4代目の竹内重人が当店の特徴とお酒に対する想いをお伝えします。
明治23年に創業。
森田で酒屋を営んで創業130年になります。
全国にはたくさんの蔵元があり、たくさんの美味しい日本酒があります。しかし、大変恐縮ながら、当店は自らの基準を守りながら、限られた蔵元のみとお付き合いしております。当店が大切にしているのは、味はもちろんのこと、飲み手となるお客様に対してや、酒造りに対する姿勢、これからの日本酒に対する眼差しです。お付き合いするのは、その姿勢や想いにとことん惚れ込める、信頼できる蔵元たちです。 取り扱う蔵元が少ない分、ワガママな酒屋と思われるかもしれませんが、自分の惚れ込んだ蔵元たちと一緒に、「造り手の努力」や「農家の想い」といった日本酒の奥に見える特別な風景を皆さまに伝えていきたいと考えています。
小さな頃から、近所の人たちにも「八重巻屋の息子さん」と呼ばれ、自分は将来店を継いで酒屋になるんだろうなと、なんとなくですが感じていました。小学校の卒業文集にも将来の夢は、という質問に「八重巻屋の3代目」と書いてあります。恥ずかしながら店に入った時にわかったのですが、実際は4代目だということでした。何よりも両親が楽しそうに酒屋をしていたので、店を継ぐことに対しては何の抵抗もありませんでした。
実家が酒屋ということで、お中元やお歳暮の繁忙期には必ず手伝いに帰省していました。帰省の度にバイト先の先輩たちから、日本酒を持って帰ってきてくれよと言われ、毎回何かしらの日本酒を手にして下宿先に戻ったものです。先輩たちの「お前が持って帰ってくる酒はどれも旨いな!」この一言を聞きたくて何を持って帰ろうか自分なりに一生懸命お酒を選んでいたことを覚えています。すすめたものを美味しいと喜んでもらえる…。それが酒屋なんだ、こんないい仕事はないなと大学時代のこの経験が酒屋を継ぐという意識を強くしてくれました。
店に入り間もなく新潟の朝日酒造が主催する「久保田塾」というところに入塾しました。酒屋の後継者育成の塾で、2ヶ月に1回、1年間、新潟に通い続け新潟の酒屋さんたちにもたくさんお会いし、地酒とは一体どういうものなのか?ということを体で感じてきました。この1年間での経験は今の自分に至るとても貴重なものでした。
店に入った頃、私はビールが好きで毎日の晩酌はビールばかりでした。そんな姿みていた嫁さんがある日言いました。「日本酒を飲んでってお客さんにすすめているのに、ビールばっかり飲んでるね」その一言にハッと気付かされ、翌日から晩酌を日本酒に変えたのでした。今では最後に日本酒をひとくちでも口にしないと気が済まなくなってしまいました。
日本酒を唎くときに自分の物差しとなっているお酒があります。それは「久保田 千寿」です。すっきりとキレイなお酒で、いくら飲んでも飲み飽きしません。飲めば飲むほど美味しくなる不思議なお酒です。千寿と比べて甘いとか辛いとか、香りがあるだとか、千寿の味が私の基準となっているのです。
私の個人的な感覚なんですが、ひとくち飲んでみてこのお酒丁寧に造られてるな~と感じる時があります。ワインでも焼酎でも同じです。日本酒に限らず、酒造りというのは複雑なもので、全てにおいて丁寧に作業をされてはいるのですが、何かそんな感覚をふと感じる時があるのです。最近ある人と話をしていると、菌には人の気持ちが反映されるということを聞きました。そういえば、うちのお付き合いしている蔵元で働く人たちはみんな自分の会社、社長、お酒がとっても好きなんです。そんな人たちの楽しい気持ちがお酒に表れているのかもしれません。